中国が生んだ冥界の忘却の神「孟婆」と転生をめぐる神話の構造

転生の前、死者は記憶を消す湯を飲む。中国の女神・孟婆の神話は、忘却を冥界の制度として組み込んだ物語だ。ギリシャのレーテーと役割は似ながら、その性格は大きく異なっている。

中国が生んだ冥界の忘却の神「孟婆」と転生をめぐる神話の構造
Photo by Himmel S / Unsplash

忘却の女神は、別の文明にも存在した

中華圏の民間信仰には、孟婆(もうば)という忘却の女神が存在する。転生を前にした死者が冥界を通過する際、孟婆から記憶を消す湯を与えられるというこの神話は、明清時代に定型化し、現代においても中華圏の民間信仰に広く浸透している。

忘却を冥界の構造に組み込んだ神話は、ギリシャにも存在する。記憶の女神ムネーモシュネーと忘却の化身レーテーについては以前の記事で取り上げた。冥界の川レーテーの水を飲んだ魂が前世の記憶を失うというあの神話は、人が制御できない現象に名前と形を与えようとした試みの記録だった。同じ試みが、独立した別の文明にも存在したことになる。

孟婆に関する最も詳細な記述は、清代に編まれた、仏教・道教・儒教の三教習合を背景とする民間の勧善書『玉歴宝鈔』(ぎょくれきほうしょう)に見られる。そこに記された来歴によると、孟婆は前漢に生まれ、儒書を読み仏典を暗唱し、過去を悔やまず未来を憂えず一心に善行を積んだ女性とされる。81歳になっても鶴髪童顔で、終生貞女であった。山に入って修行を成就し、道教の最高神・天帝の命により冥界の忘却の神として赴任した。姓は「孟」だが名は伝わらず、「孟婆(孟の老女)」と呼ばれた。

黄泉路の果てで待つ孟婆と、記憶を消す湯

死者は黄泉路を歩み、忘川河(ぼうせんが)へと至る。「忘れの川」を意味するこの忘川河のほとりに、奈何橋(ないかきょう)がかかる。「奈何」とは「どうすることもできない」という意味を持つ言葉で、死後の旅路の終着点に架かる橋の名である。

その奈何橋のたもとで待つのが、孟婆だ。孟婆は醧忘台(よくぼうだい)という建物を与えられており、そこで各地の薬草と忘川河の水を用いて「孟婆湯」を調合する。この湯を飲めば前世の記憶、愛憎、執念はすべて消え去るとされる。文献によって五味あるいは八味と記述が異なるが、一般的には甘・苦・辛・酸・鹹(塩辛い)の五味を持つとされる。

転生しようとする魂は、必ず孟婆湯を飲まなければならない。『玉歴宝鈔』は、拒む者に対しては足を絡め取って動けなくし、銅管を喉に刺して強制的に流し込むと明記している。こうして忘却は、選択の余地なく冥界が課す義務として制度化されている。

まれに、孟婆湯を飲まないまま転生した者は、前世の記憶を持ったまま生まれるとされる。清代の随筆『寄園寄所寄』は、前世の記憶を持って生まれた女児が「孟婆湯を飲もうとしたとき、ちょうど一匹の犬が通りかかり、つまずいて湯をこぼしてしまった」と語ったというエピソードを伝えている。記憶の消去に例外の余地を残すことで、神話は転生の仕組みを説明しながら、現実に「前世の記憶」を持つとされる人間の存在をも折り込んでいる、とも言えるだろう。

宋代の風神から冥界の神へ、謎に満ちた変遷

冥界の忘却の神として定着した孟婆だが、それ以前の「孟婆」という名の使われ方は異なっていた。

宋代の文献において、「孟婆」は風神を指す言葉として用いられていた。宋徽宗の詞『月上海棠』には「孟婆且与我、做些方便、吹个船儿倒転(孟婆よ、便宜をはかってくれ、船を吹き返してくれ)」という一節が残っており、このときの孟婆は冥界の女神ではなく風神を指している。明代の文人・楊慎の考証書『丹鉛総録』(たんえんそうろく)にも、江南の七月に吹く大風を「孟婆が怒った」と表現する民間の言い伝えが記録されている。

なぜ「孟婆」という名が冥界の忘却の神に結びついたのか、その経路については現在も確定した説はない。渡し守や航海の守護神が「魂を渡す」機能を持つ点で冥界の渡し手と重なるという説や、仏教の盂蘭盆節との関係を指摘する説など、複数の仮説が提示されているが、いずれも文献的な裏付けは限られている。

文献上で確認できる線をたどると、明代の小説『醋葫芦』などで孟婆が冥界と結びついた形で登場しはじめ、清の順治年間(17世紀中頃)に書かれた仏教演劇『帰元鏡』が、孟婆を孟婆湯の管理者として明確に位置づけた。これが複数回重版されることで、孟婆は冥界の忘却の神として民間に広く定着した。清の乾隆年間(18世紀)には、奈何橋や孟婆庄を含む冥界の情景が今日知られる形に定まった。

風神としての孟婆と冥界の女神としての孟婆が同一であることを示す一次史料は、現時点では確認されていない。両者の関係は後世の民間信仰における再解釈の結果である可能性も指摘されている。「孟婆」という名が宋代には風神を指し、明清には冥界の忘却の神として定着していたことは事実だが、その間の経緯は現時点では明らかになっていない。

レーテーと孟婆湯が示す「忘却」の違い

ギリシャ神話のレーテーと孟婆が構造的に似ていることは、多くの論者が指摘してきた。いずれも冥界において、転生前の死者の記憶を消去する機能を担う。そして、記憶や忘却という内面の現象に名前と形を与え、神話の体系に組み込んだ。

しかし、両者の構造は異なっている。

レーテーは川である。死者が水を飲むことで記憶を失う。プラトンの『国家』では飲む行為に意志が示唆され、オルペウス教の伝承ではムネーモシュネーの泉とレーテーの泉の間での選択も可能とされた。忘却はそこで、自然の力として、あるいは選択肢の一つとして提示されていた。

孟婆湯は異なる。人格を持つ女神が調合し、冥界の官僚的な手続きの一環として全員が飲まされる。拒否は許されない。范長風と王琳艷は、2009年に発表した論文「孟婆湯神話から見る中国社会の忘却の論理」において、この違いを「個人に委ねられた忘却」と「社会秩序のために課される忘却」として対比的に分析している。忘却のあり方は、その文明が秩序をどう維持するかという思想を映し出している。

神話を超えて現代に生き続ける孟婆

2015年、NASAの探査機ニュー・ホライズンズが冥王星に接近した際、各地形に冥界神話に由来する名称が与えられた。冥王星の英語名「Pluto」はローマ神話の冥界の神に由来するため、その地形名には世界各地の冥界神話から名前が選ばれている。

孟婆の名は、冥王星の赤道付近に位置する暗い地域「Meng-p'o Macula」に刻まれた。Meng-p'oは孟婆の英語表記、Maculaは天体表面の暗い地域を指す天文学用語である。冥界にまつわる世界各地の神話の中から選ばれた名の一つが、中国民間信仰の忘却の女神だったということは、この神話が特定の文化の内側に閉じたものではなく、忘却という現象を人間がどう意味づけてきたかを伝える一例だということが分かる。

孟婆の神話は、中華圏を中心に現代の創作文化の中でも息づいている。中国のファンタジー小説やドラマ、ゲームなどでは、「孟婆湯を飲まずに転生し、前世の記憶を抱えたキャラクター」という設定が頻繁に用いられる。古代の神話が現代のストーリーテリングの中で再解釈され、新たな命を得ている。

民間信仰における孟婆は、単なる冥界の役人ではなく、敬意や親しみを込めた様々な呼び方で親しまれてきた。華南や台湾の廟(びょう)では、神格への敬意を表す「尊神」や、女性神への敬意と慈愛を表す「娘娘」として祀られるほか、時に親しみを込めて「奶奶(おばあちゃん)」とも呼ばれる。これらの呼び方が包含する情感は、孟婆が魂を罰する存在ではなく、前世の執着から解き放つ「慈悲の見守り手」として受け止められている事実を物語っている。

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