「記憶力の差」はどこにあるのか

「記憶力が良い」という言葉の裏には、記憶力を脳に備わった素質として見る前提がある。だが研究が示す差は、容量よりも知識構造と実践の積み重ねに根ざしている。

「記憶力の差」はどこにあるのか
Photo by Anh Tuan Thomas / Unsplash

記憶力を「素質」として見る感覚

「あの人は記憶力が良い」という言い方は広く使われる。試験の成績、人の名前を覚える速さ、会話の細部を正確に再現する能力。こうした差を、私たちは脳に備わった素質として解釈しがちだ。体力や視力と同じように、記憶力には生まれつきの上限があり、人によって異なる、という感覚だ。

この前提は完全に間違っているわけではない。だが、「記憶力の差」として見えているものが本当に何の差なのかを問い直すと、話はもう少し複雑になる。研究が示すのは、「記憶力の差」のかなりの部分が、脳のスペックそのものではなく、別の何かによって生み出されているということだ。

記憶の「容量」で差を説明できるか

記憶を「容量」で語るとき、実は二つの異なる仕組みが混同されやすい。今この瞬間に必要な情報を保持し処理する仕組み(ワーキングメモリ)と、知識や経験を一生のうちに蓄積していく仕組み(長期記憶)だ。それぞれの容量に、本当に人による差があるのかを見ていく。

ハーバード大学の心理学者ジョージ・ミラー(George Miller)が1956年に発表した論文では、人間が短期的に保持できる情報の「まとまり」の数に上限があることが示された。心理学ではこの一つひとつのまとまりを「チャンク」と呼ぶ。たとえば「1」「9」「8」「6」という四つの数字も、年号として認識すれば「1986年」という一つのチャンクになる。ミラーが示したのは、人間が一度に保持できるチャンクの数がおよそ7±2個だという上限であり、これがのちに「マジカルナンバー7」として知られるようになった。この知見は、のちにミズーリ大学の心理学者ネルソン・コーワン(Nelson Cowan)が2001年に発表した論文によって約4チャンクに改訂された。重要なのは、この上限がほぼ全員に共通しているという点だ。ワーキングメモリ容量テストで捉えられるのは、文脈から切り離された情報の断片をいくつ一時的に保持できるか、という能力であり、そこに際立った個人差は見つかっていない。

もう一方の長期記憶はどうか。ハードディスクのような「蓄積量」という観点で見ても、人による差があるという証拠は見当たらない。長期記憶の保存量は、誰にとっても生涯のうちに使い切れないほど大きいと考えられている。ボストン・カレッジの心理学者エリザベス・ケンジンジャー(Elizabeth Kensinger)は、脳が保持できる情報量に意味のある上限はないと述べている

ワーキングメモリの容量にも、長期記憶の蓄積量にも、際立った個人差は見当たらない。授業の内容を理解する、会話の流れを把握する、複雑な手順を身につける。こうした現実の記憶タスクでの差は、この二つの容量とは別の場所で生まれているはずだ。

チェスの名人が見ているのは、駒ではなく意味のまとまり

この問いへの手がかりを示すのが、チェスを使った一連の実験だ。

カーネギーメロン大学のウィリアム・チェイス(William Chase)とハーバート・サイモン(Herbert Simon)が1973年に報告した実験では、チェスの名人、中級者、初心者を対象に、実際の対局から取り出した局面を5秒間提示し、その後に盤面を再現させた。名人は圧倒的な精度で再現できたが、初心者はほとんどできなかった。ところが駒をランダムに配置した盤面に切り替えると、この差は消えた。名人も初心者も、同程度の低い精度だったのだ。

この知見をさらに鮮明にするのが、ピッツバーグ大学の心理学者ミシェル・チー(Michelene Chi)が1978年に報告した実験だ。チェスに熟達した10歳の子供と、チェス初心者の大人を比較した。数字の羅列を記憶するテストでは大人が上回った。だが実戦の局面を記憶するテストでは、子供が大人を大きく上回った。

一般に脳の処理能力は大人のほうが高い。それでも、知識構造を持つ子供がその優位を覆した。名人や子供の専門家が優れていたのは脳のスペックではなく、経験によって蓄積された、認識できるパターンの種類の豊富さだった。「意味のある塊」として知覚できる領域では、容量の差は問題にならない。逆に言えば、意味を見出せない領域では、誰もが等しく容量という制約に縛られる。

この現象を理論的に説明するのが、フロリダ州立大学の心理学者K・アンダース・エリクソン(K. Anders Ericsson)とコロラド大学ボールダー校の心理学者ウォルター・キンチュ(Walter Kintsch)が1995年に提唱した「長期ワーキングメモリ(Long-Term Working Memory)」という概念だ。普通の長期記憶は、情報をどこかに保存してはいても、それを取り出すのに時間がかかる。コンピュータのデータベースで言えば、インデックスを張らずに全件検索しているような状態だ。熟達者は経験を通じて、長期記憶の中にあらかじめ「検索の索引」を作っておくことで、必要な情報を一瞬で呼び出せるようにしている。保存場所は長期記憶でありながら、引き出す速さはワーキングメモリと同等になる。これが「長期ワーキングメモリ」と呼ばれる理由だ。ワーキングメモリの容量そのものは変わらないが、熟達者は長期記憶への高速な検索路を築くことで、その制約による不利を補っている。

脳の構造ではなく接続パターンが異なる

では、世界記憶力選手権に出場するほどの記憶パフォーマンスを持つ人たちはどうか。特別な脳を持って生まれたのだろうか。

ラドバウド大学の神経科学者マルティン・ドレスラー(Martin Dresler)らが2017年に発表した研究では、世界トップクラスの記憶力競技者23名の脳を、血流の変化から脳の活動を捉える画像技術で計測し、年齢や知能の水準を揃えた対照群と比較した。脳の構造的な差異は検出されなかった。差があったのは、脳内ネットワーク間の接続パターンだった。

さらに、記憶訓練の経験がない一般人を対象に、記憶力競技者たちが用いるのと同じ記憶術を使った6週間のトレーニングを実施したところ、接続パターンが記憶力競技者のものに近づいた。この変化はトレーニング終了から4カ月後も持続していた。競技者たち自身も、この研究の中で、優れた記憶力は生まれつきのものではなく、記憶術を用いた何カ月・何年ものトレーニングによって身につけたものだと答えている。

ただし、この記憶術が効果を発揮するのは、単語リストや数字の羅列のように、その技法を適用できる特定の条件下に限られる。専門外の複雑な概念や日常の出来事の記憶において、競技者たちが一般人を圧倒するわけではない。差を生んでいるのは記憶力そのものの違いではなく、その記憶術を身につけているかどうかだ。

「記憶力の差」として見えているものの正体

ここまでを整理すると、記憶パフォーマンスの差を「脳の容量スペックの差」として説明することには、根本的な限界があることが分かる。

差はむしろ、情報をどのような単位で知覚するか、どのような既存知識と結びつけるか、どれほどの注意を向けるか、という実践の積み重ねによって形成される部分が大きい。さらに言えば、記憶力の差は「覚える」能力だけでなく「思い出す」能力にも根ざしている。情報を取り出すための索引をどれだけ豊かに持っているか、という構造の問題でもある。

これは個人差を否定しているわけではない。差は確かに存在する。だがその差の多くは、生まれついての才能という不変の特性ではなく、実践を通じて変化しうる何かに根ざしている可能性がある。「記憶力の差」はどこにあるのか。答えは、脳の容量にではなく、どれだけ意味のある単位で物事を捉え、どれだけ豊かな検索の手がかりを蓄えてきたかという、積み重ねの中にある。

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