移植された心臓に臓器提供者の記憶が宿る、物語と科学
心臓移植後に臓器提供者の記憶が移るとする説を検証した論文が、2026年8月に発表された。裏づけはないが、体験は無視できないという。物語と研究の両面からこの体験を読み解く。
移植された部位が、別人の人格を持つという発想
体の一部や臓器をある人から別の人へ移し替える。そうした移植手術を受けた人(レシピエント)に提供者(ドナー)の人格が宿る、という話がある。最初にそれを書いたのは、フランスの作家モーリス・ルナール(Maurice Renard)である。1920年に発表した小説『オルラックの手』の主人公であるピアニスト、オルラックは事故で両手を失い、処刑された殺人者の手を移植される。手術後、オルラックは自分の手が独自の人格を持っているかのような恐怖に苛まれてゆく。
作中には外科医セラル博士(Dr. Cerral)が登場する。SF研究者アーサー・B・エヴァンズ(Arthur B. Evans)は、この人物をルナールが実在するフランス人外科医アレクシス・カレル(Alexis Carrel)をモデルに書いたと見ている。カレルは血管の縫合技術によって1912年にノーベル賞を受賞し、臓器移植研究の先駆者として知られていた。エヴァンズはこのモデル説の根拠として、両者の名前の類似を挙げている。
ルナールは1909年の評論で、既知の科学的事実を出発点に、それを論理的な仮説検証の方法で未知の領域まで押し広げる小説を「科学驚異小説」(roman merveilleux-scientifique)と呼び、一つのジャンルとして提唱していた。この小説自体がその実例で、実在するカレルの血管縫合技術を出発点に、人格までも移植されるという空想を描いている。『オルラックの手』は1924年に映画化され、1935年には『マッド・ラブ』という題で再び映画化された。「移植された部位に他者の人格が宿る」というSFホラーの系譜がここから始まった。
現実のレシピエントは、ドナーを忘れようとした
『オルラックの手』とその映画化が示したように、移植された部位に他者の人格が宿るという発想は、まずフィクションの中で描かれた。現実の移植医療が実現するのは、もう少し先のことだ。最初に成功したのは、1954年、アメリカで行われた一卵性双生児間の腎臓移植だった。オルラックが描いた手の移植は、1998年まで待たなければならない。その間の1967年には、心臓移植が実現した。
心臓移植では、レシピエントの術後の心の健康を考えるうえで、医療者もドナーの記憶や人格が宿るという発想を意識せざるをえなかった。心臓が古くから、感情や人格の宿る場所とされてきた臓器だからである。以下に見る研究や物語も、多くは心臓移植をめぐるものだ。
心臓の提供を受けたレシピエントたちの反応は、フィクションが描いてきたものとは違っていた。当初の臨床研究がまず記録したのは、ドナーとのつながりを語る反応ではなく、むしろそれを否定する反応だった。心臓移植を受けた人には、ドナーの心臓が自分の人格に影響するのではないかという不安や、ドナーの死への罪悪感が生じることがある。こうした不安と向き合うかわりに、移植された心臓やドナーの存在を、意識の外に押しやろうとする人が少なくなかったのだ。
カナダの精神科医フランソワ・マイ(François Mai)による1986年の研究では、心臓移植の生存者20人のうち18人にこの反応が見られた。心臓を意識の外に置こうとした人が7人、ドナーを意識の外に置こうとした人が5人、両方を意識の外に置こうとした人が6人だった。
オーストリアの心理学者ブリギッタ・ブンツェル(Brigitta Bunzel)らは、1992年、ウィーンで47人の心臓移植患者を調べた。79%が性格の変化を否定し、15%は変化を認めつつも、それは心臓のせいではなく、命に関わる大きな手術や病気を経験したせいだとした。心臓そのものによる変化だと答えたのはわずか6%、3人にとどまった。研究者らはこの3人の体験を「取り込み空想」(incorporation fantasies)と呼んでいる。ドナーの心臓とともに、ドナーの感情や人格までも自分の中に取り込んだと感じ、自分の反応がドナーのものに変わったと語ったことから、この名がついた。
ドナーの好みを受け継いだと語るレシピエントが現れた
心臓移植を受けた人が、ドナーの記憶や人格が自分に宿ったと語り始める。その最初の例が、1997年に出版された一人の女性の手記『A Change of Heart』(邦訳『記憶する心臓』)だった。
クレア・シルヴィア(Claire Sylvia)は1988年、まれな肺の病気のためアメリカで心肺同時移植を受けた、47歳(手術当時)の女性である。手術後、それまで口にしなかったビールやケンタッキーフライドチキンのナゲットを無性に欲するようになる。のちにシルヴィアは、ドナーの少年が事故死したとき、上着のポケットに同じナゲットを持っていたことを知り、自分の渇望と重なることに気づく。やがてシルヴィアの夢に、ティムという名の若者が現れるようになる。シルヴィアはその名を、ドナーの訃報記事で確かめ、ドナーの家族を探し出して面会した。
手記から3年後の2002年、シルヴィアの物語はテレビドラマ『Heart of a Stranger』として映像化される。
移植でドナーの記憶や感覚を受け継ぐという着想は、数々の創作を生んだ
シルヴィアの手記のあと、同じ発想を扱う創作物がいくつも作られていく。1999年には、貫井徳郎の小説『転生』が刊行される。心臓移植を受けた大学生の和泉は、術後に趣味や嗜好が変わったことに戸惑う。夢に現れる見知らぬ女性の記憶だけを頼りに、ドナーの家族への接触を試みる。
2001年、北条司の漫画『エンジェル・ハート』の連載が始まる。暗殺者として育てられた少女グラス・ハートが瀕死の重傷を負い、心臓移植を受けて一命をとりとめる。移植された心臓の記憶に導かれるように、彼女はドナーのパートナーだった男のもとへとたどり着き、そこから2人の関わりが描かれていく。
2003年には、韓国のKBSでドラマ『夏の香り』が放送される。心臓移植を受けたヒロインは、初めて会ったある男性に、なぜか胸が高鳴る。この男性は、ヒロインに心臓を提供したドナーの恋人だった。心臓が、ドナーの恋人に反応する物語である。
2019年、Netflixのドラマ『チェンバース: 邪悪なハート』が配信される。心臓移植を受けた10代の少女が、幻覚や不穏な衝動に悩まされながら、ドナーの死の真相を探る。その過程で、彼女はドナーの特徴を帯びていく。
2024年、Netflixのドラマ『さよならのつづき』が配信される。事故で恋人を失った女性が、その心臓の提供を受けた男性と手紙をきっかけに関わっていく物語で、心臓移植による記憶転移を真正面から題材にした作品として、配信直後から世界的な人気を集めた。
2025年には、アルゼンチン映画『この心が知っている』がNetflixで配信される。心臓発作で倒れたフアン・マヌエルは、心臓移植を受けたのち、自分の性格が変わったことに気づき、ドナーの人生を調べ始める。ドナーが暮らした地域を訪れた彼は、ドナーの妻ヴァレリアと出会い、正体を隠したまま惹かれ合っていく。
ここに挙げたのは、いずれも心臓移植を題材にした作品である。移植される臓器は心臓に限らず、角膜の移植を描いた香港映画『見鬼』のような作品もある。ドナーの記憶や感覚が、移植を通じてレシピエントに現れる。この着想は、臓器も国も媒体も問わず、数々の創作に使われてきた。
積み重ねられてきた研究が、あらためて検証された
2026年8月、パレルモ大学のマリアキアラ・フィグーラ(Mariachiara Figura)氏らイタリアの研究チームが、心臓移植後の変化やドナーとの対応にまつわる、これまでの研究をあらためて見渡すレビュー論文を発表した。集めたのは、1992〜2025年に発表された16件の文献である。
このうち、実際にレシピエントを調べた研究は7件にとどまり、残りの9件は、実験や調査を行わない、意見や理論的な考察の文献だった。そして、その7件の中でさえ、レシピエントの変化がドナーの家族などへの取材で裏づけられたのは、2件だけだった。しかも、1件はドナーとの対応があるかどうかを研究者が判断したもので、もう1件は研究者が個別に見つけた、目立つ事例7人を集めたものだった。
こうした小規模な研究でも、レシピエントの変化を説明する仮説は、いくつも検討されていた。多くは、ドナーとは関係のない心理面や身体面の要因である。大病と移植を経験して価値観が変わったこと、拒絶反応を抑える免疫抑制剤が気分や食欲、味覚、睡眠に与える影響、手術や麻酔のストレスによる鮮明な夢や不思議な知覚、体力が回復して新しいことを始められるようになったことなどだ。心臓という臓器に社会が与えてきた意味が、変化の受け止め方を左右するという指摘や、偶然の一致、思い込みの可能性もあった。
一方で、移植された臓器がドナーの情報を運ぶという仮説も、複数示されていた。臓器の細胞にドナーの記憶が記録され、レシピエントに現れるとする「細胞記憶」が、その代表である。ほかにも、心臓に備わる神経のネットワークが情報を保持しているという説や、心臓の細胞が放出する微小な粒子(エクソソーム)が、ドナーの情報を血流に乗せて脳まで運ぶという説がある。
ただし、移植された心臓を通じてドナーの記憶や人格、アイデンティティが移ることを裏づける研究結果は、今のところない。これらの仮説は、実証的な研究ではなく、二次文献の中で発展してきたものだと、この論文は位置づけている。
それでも、術後の変化や、ドナーとの対応を感じる体験は、レシピエントに実際に起きている、心理的にも臨床的にも意味のある現象である。術後の心の健康を考えるうえでも、こうした体験は無視できない。
そのため今後は、ドナーのことを知る前から体験を記録し、移植の前後を長く追いかけ、あとから分かったドナーの情報と実際に照らし合わせて確かめるような研究が必要だと、論文は結んでいる。
物語が続く理由は、科学の外側にある
では、なぜ人は、移植を受けた人にドナーの記憶や人格が宿るという物語に、惹かれてきたのか。
一つには、身体の一部を他者のものへ移し替えるという発想そのものへの驚きがある。実際の移植医療が実現するより前から、この発想はフィクションの題材にされ、恐怖と不安を伴う物語として繰り返し描かれてきた。オルラックの手はその代表例である。
もう一つには、心臓という臓器が、感情や人格の宿る場所として、長く文化の中に位置づけられてきたことがある。ブンツェルらが「取り込み空想」と呼んだ現象は、この古い観念の上に成り立っている。
そして最後に、心臓のドナーが必ず死者であるという事実がある。移植を受けた患者には、自分が生き延びた分だけ誰かが死ななければならなかった、という感覚が残りやすく、感謝や負い目、悼みとして語られることが少なくない。シルヴィアがドナーの家族を探し出したのも、その表れの一つだろう。
この三つが重なるところに、ドナーの記憶をめぐる物語は、科学的な裏づけの有無とは関係なく、生き続けている。