デジャビュはどのようにして起こるのか

多くの人が経験するのに、その正体は長く謎のままとなっているデジャビュ(デジャブ/既視感)という現象。脳が二つあるといった素朴な説から、脳の活動を測る実験まで、この奇妙な感覚がどう考えられてきたかをたどる。

デジャビュはどのようにして起こるのか
Photo by Pierre Châtel-Innocenti / Unsplash

「見覚えがある」のに「初めてのはず」という矛盾した感覚

会話の途中で、この場面は前にも経験したと感じることがある。相手の言葉も、自分が返そうとしている言葉も、以前に交わしたことがある気がする。同じことは、目にしている光景についても起こる。初めて訪れたはずの部屋の眺めに、見覚えを感じることがある。

この感覚はデジャビュ(déjà vu)と呼ばれる。フランス語で「既に」を意味する déjà と、「見る」の過去分詞 vu を組み合わせた言葉で、直訳すると「すでに見た」となる。この語は19世紀末に登場したが、広く使われるようになるまでには、そこからさらに数十年を要した。

ただ、「以前にも経験した」という感覚だけでは、デジャビュとは呼べない。同時に「これは初めてのはずだ」という感覚もあることが不可欠な条件になる。現代の記憶心理学では前者を「親近感(見覚えがある感覚)」、後者を「想起(文脈を伴う確かな記憶)」と呼ぶが、この二つが矛盾したまま同時に衝突するからこそ、人はデジャビュを奇妙な体験として自覚する。

この現象を経験する人は少なくない。アメリカのサザン・メソジスト大学で心理学を教えていたアラン・ブラウン(Alan S. Brown)は、2003年に発表したレビュー論文で、デジャビュの経験率を尋ねた41件の調査を集計している。これらの調査は、1950年代以降さまざまな国と時期にそれぞれ別の調査主体が行ったものである。集計の結果、生涯に一度以上デジャビュを経験した人の割合は平均67%だった。ブラウンはもう一つ、はっきりした傾向も報告している。デジャビュは若い成人期に最も多く経験され、加齢とともに頻度が下がっていく。ブラウンは、なぜこうなるのかを理解することがこの先の研究にとって重要だと述べている。

デジャビュへの言及は、はるか昔にまで遡ることができる。北アフリカの司教アウグスティヌス(Augustine)は、5世紀初頭に書き始めた『三位一体論』のなかで、これを「偽りの記憶」と呼んで論じている。日本でも、14世紀の兼好法師が『徒然草』第七一段に、この感覚を思わせる記述を残している。

ただ今の人の言ふことも、目に見ゆる物も、わが心の中に、かかる事のいつぞやありしはと覚えて、まさしくありし心ちする、我ばかりかく思ふにや

今まさに人が言っていることも、目に見えているものも、自分の心の中で、こうしたことが以前にもあった気がして、確かに以前にもあったような心地がする、これは自分だけがそう思うのだろうか、という意味である。ただし、これらは断片的な言及にとどまり、現象として本格的に探究の対象になるのは、19世紀に入ってからである。

実験なき時代のデジャビュ論

デジャビュの説明として最も古い部類に属するのが、イギリスの医師アーサー・ウィガン(Arthur Wigan)が1844年に唱えた説である。ブラウンのレビュー論文によれば、ウィガンは、人間には左右に独立した二つの脳があり、通常はどちらか一方だけが働いていると考えた。何かを見たり聞いたりしたときにそれを認識するのは、通常働いているほうの脳である。ただ、時折もう片方の脳もそれを認識することがある。このとき、通常働いているほうの脳はすでに一瞬先に目の前の状況を認識しているため、もう片方の脳が認識した瞬間は、実質的には二回目の認識に当たる。一回目は通常働いているほうの脳だけによる、意識にのぼらないほど弱い認識で、二回目が両方の脳が揃っての、はっきりした認識である。二回目の認識の背後に一回目の痕跡が残っているために、「これは前にもあった」という感覚が生まれる、とされる。しかしレビュー論文を書いたブラウンは、この種の説明は実証性を欠き、頭の中で考えられただけの域を出ないと評している。

別の系譜の説明もある。目の前の場面のうち、たった一つの要素だけが実際にどこかで見た覚えのあるものだ、という考え方である。1876年、フランスの哲学者エミール・ボアラック(Émile Boirac)がこの説を示した。たとえば友人の家を初めて訪れたとき、部屋の隅に置かれた置き時計が、たまたま親戚の家にあるものとそっくりだったとする。この置き時計だけに対する既知感が生まれるが、本人はその感覚が置き時計に由来することに気づかず、部屋全体に対する既知感だと取り違えてしまう。この取り違えが、デジャブとして意識される、という説である。また1884年には、アメリカの生物学者ヘンリー・オズボーン(Henry Osborn)が、単一要素の類似にとどまらず、意識して注意を払わずに処理された情報や、過去の思考プロセスの重複によっても既知感が生まれるという説を示している。

一方、意識や時間の捉え方の観点からアプローチしたのが、フランスの哲学者アンリ・ベルクソン(Henri Bergson)である。1908年のエッセイ(第5章「Memory of the present and false recognition」)で、知覚と記憶は同時に生まれるという、独自の主張を展開した。ふだん人はこの同時に生まれる記憶のほうを意識しないが、まれにそれが知覚と同時に意識に上ることがあり、これが「前にもあった」という感覚を生む、とベルクソンは説明した。ただし、これも実証を伴わない、個人の哲学的な主張である。

その後も、デジャビュの新しい説明はいくつも出てきた。1979年、ベルギーの精神科医アンドレ・ド・ナイエ(André de Nayer)は、記憶には新しい情報を取り込む働きと、すでにある記憶を引き出す働きという、二つの別々の経路があると考えた。通常、この二つは順番に働くが、まれに同じ場所で交わり、同時に働いてしまうことがある。すると、いままさに取り込んでいる最中の出来事が、同時に引き出す経路にも乗ってしまい、これはすでに記憶にあるものだという感覚が生まれる。テープレコーダーの録音ボタンと再生ボタンが同時に押された状態を思い浮かべればよい、とド・ナイエは説明した。

1990年には、オランダの精神科医ヘルマン・スノー(H. N. Sno)とドン・リンセン(D. Linszen)が、別の見方を示した。記憶は脳のどこか一箇所にまとまって保存されているのではなく、脳全体に薄く広がって保存されているのではないか、と二人は考えた。だとすれば、目の前の新しい場面のごく一部の要素、部屋の配置や光の角度、あるいは会話のリズムが、過去のある記憶の一部とたまたま重なるだけで、その断片をきっかけに、記憶全体がぼんやりと呼び覚まされてしまうことがある。ただし、いまの場面全体とは一致しないため、「これは前にもあった」という感覚だけが生まれる。それがいつのどんな記憶なのかは思い出せない、とスノーとリンセンは説明した。

人為的に起こしにくい現象をどう検証するか

これらの説には、それぞれ当時の「記憶観」が反映されており興味深いものだといえる。しかしデジャビュが心理学の実証研究の対象になったのは、比較的最近のことだ。理由は、この感覚にはいつ起きるかを予測する手立ても、起きたことを客観的に確かめる手段もなかったためである。それに、再現しようとしてできる現象でもない。この扱いにくさゆえに、長く研究の対象になりにくかった。だが、2000年代に入り状況は変わった。

ブラウンは2003年のレビュー論文の結びで、こうした実証研究の難しさを越えるための具体的な方法を提案している。居間やホテルのロビーといった複雑な視覚的場面の写真を使い、過去に見た場面の一要素だけを新しい場面に紛れ込ませる。そうすれば、被験者にとって場面自体は本当に初めて見るものでありながら、既知感だけを人工的に作り出せるはずだ、とブラウンは考えた。仮想現実の技術を使えば、この状況にさらに実在感を持たせられるだろう、とも書き添えている。

この方法で実際に検証しようとしたのが、コロラド州立大学の心理学者アン・クリアリー(Anne Cleary)である。2012年に発表した研究で、ヘッドマウントディスプレイを使い、被験者を室内や屋外のさまざまな立体映像に没入させた。映像は、シミュレーションゲーム「ザ・シムズ」に備わっている、部屋の間取りや家具を自由に配置できる機能を使って作られた。この仮想空間の中を歩いて移動することはできず、被験者は、割り当てられた一つの視点から、頭を動かして周囲を見渡す形で場面を体験した。

クリアリーは、風景のペアを64組作成した。一組の中の二つの風景は、屋内であったり屋外であったりし、置かれているものの種類も見た目もまったく違うが、正面に何が見え、左右に何が配置されているかという、視界の中の物の位置関係だけが共通している。たとえば、正面に大きな家具があり、その右手に窓がある、という配置自体は同じでも、その家具が本棚なのか食器棚なのか、右手の窓の外に見える景色が庭なのか通りなのか、といった中身は、二つの風景でまったく異なる。被験者にまず一部の場面を体験させたあと、別の場面を見せる。この中に、先ほど見た場面と、この位置関係だけが一致する、初めて見る場面を含めておく。被験者が元の場面を思い出せなかった場合を比較すると、位置関係が一致していた場面のほうが、一致していない場面よりも、デジャビュを報告する割合が統計的に高かった。初めて訪れた場所に見覚えがあると感じる背景には、場所を構成する個々のものではなく、物の配置そのものの一致が関わっている可能性がある。

ただし、この実験が検証したのは視覚的な場面におけるデジャビュに限られる。実験が視覚場面に偏っているのは、デジャビュという現象自体が視覚に偏っているからではなく、この場面は以前に起こったはずがないという条件を、視覚場面のほうが実験的に作りやすいためだ。

こうした心理学実験と並行して、脳そのものの物理的な働きからデジャビュの謎に迫る試みも進められていた。その大きな転換点となったのが、1950年代にカナダの脳神経外科医ワイルダー・ペンフィールドが行った先駆的な電気刺激実験である。ペンフィールドは、てんかん患者の治療中に脳の表面(側頭葉)を微小な電極でそっと刺激した。すると患者は、手術室にいながら「いま起きていることを、過去にまったく同じように体験したことがある」と証言したのである。これにより、デジャビュは単なる気の迷いや哲学的な思弁ではなく、側頭葉を中心とする脳の神経活動によって物理的に引き起こされる現象であることがはっきりと示された。

相反する情報がぶつかったときに働く脳の部位が活発化していた

ペンフィールドらが拓いた脳神経科学からのアプローチを受け継ぎ、2000年代半ばに新たな展開をもたらしたのが、認知神経科学者クリス・ムーランの研究だった。

てんかんの発作の前兆として、デジャビュが繰り返し起きる人たちがいる。また、認知症など記憶の働きに障害を抱え、日常のほとんどの場面でこの感覚が慢性的に続いてしまう人たちもいる。ムーランは、こうした人たちの体験を手がかりに、デジャビュの仕組みを解き明かそうと、研究プログラムを立ち上げていた。博士課程の学生だったアキラ・オコナー(Akira O'Connor)も、この現象を実験室で作り出す方法を探るため、このプログラムに加わっていた。

2008年、オコナーとムーランは、そのプログラムの中で見つかった一人、側頭葉てんかんを持つ39歳の患者MHについて報告している。MHは、一日に三回ほど起こる発作の前兆としてデジャビュの感覚を経験する。通常のデジャビュと違い、この感覚は数秒では消えず、長く続く。あるとき、MHはその感覚が続いているあいだに、目の前のものから視線を外して別のものを見たり、考えごとの中身を変えたりしてみた。それでも、デジャビュの感覚は消えなかった。この気づきを、MHは自分から研究者に伝えた。ここまで本記事で見てきたデジャビュの説明は、置き時計であれ空間配置であれ、目の前にある何らかの要素に既知感の原因を求めるものだった。もしこの前提が正しければ、その原因となっている対象から注意をそらすと感覚は消えるはずである。しかしMHの観察は、この前提と食い違っていた。つまりこれは、デジャビュが特定の知覚対象に結びついた現象ではなく、脳の内側の状態から生じている可能性を示したのだ。

この可能性を確かめるため、オコナーらは2018年、既知感とそれを打ち消す確かな記憶を同時に作り出す実験を考案した。被験者には、脳の血流の変化を記録する装置に入ってもらい、脳のどの部分が活発に働くかを調べながら、ある単語の課題に取り組んでもらった。まず、WET、SNOW、WINTER、ICE、FREEZE、CHILLYといった、COLDという言葉と強く結びついた単語のリストを用意する。ただし、COLDという言葉自体はリストに含めない。次に、この単語リストを被験者に見せるが、その前に「COで始まる単語がないか、注意してリストを見てください」と伝えておく。すると、被験者はCOで始まる単語を探しながらリストを見るが、リストの中にそのような単語はないため「COで始まる単語は一つもなかった」と記憶する。このあと、被験者に対して、さっき見たリストにあった単語かどうかを、一つずつ確認していくテストを行う。このテストの中でCOLDという単語を見せられると、被験者の多くは「見た覚えがある」と強く感じる。なのに、「COで始まる単語は一つもなかった」こともはっきり覚えている。既知感と、それを打ち消す確かな記憶が、同時に頭の中でぶつかる状態である。

結果は、二つの点で示された。まず被験者の主観について、21人中16人がデジャビュに近い感覚があったと報告した。そして、脳の活動を画像化したスキャナーのデータは、研究者たちの予想を覆すものだった。当初は、過去の記憶を呼び出す脳の領域(海馬など)が活発に動くと考えられていた。しかし実際に激しく活動していたのは、前頭前野や前帯状皮質など、「頭の中で矛盾する情報がぶつかり、エラーをチェックするときに働く領域」だったのだ。

これまでの説明では、既知感の出どころは「今、知覚している場面」と「過去の記憶」との、何らかの類似性にあるとされてきた。この結果は、その前提を覆すものだった。既知感がどこから来るのか、その答えは、今も分かっていない。分かったのは、既知感が生まれたあと、脳がそれをどう扱うか、という部分だけである。この見方は、2023年にオコナーらが発表した論文で、葛藤説(conflict account)として名付けられている。

この論文は、ブラウンが指摘していた謎にも触れている。年をとると、物忘れや記憶違いは増えていく。理由の一つは、記憶そのものが曖昧になることだが、もう一つ、別の理由もあるとされている。人は何かを思い出すとき、その記憶がどれくらい確かなものかを見極める働きも、同時に働かせている。この働きが弱くなると、あやふやな記憶と確かな記憶の区別がつかなくなり、誤りがそのまま定着してしまう。デジャビュがもし記憶の誤りの一種なら、物忘れと同じように年齢とともに増えるはずである。しかし実際には、デジャビュは若い成人期をピークに、年齢とともに減っていく。一方、この見極める働き自体も、若い成人期に最も強く、加齢とともに弱くなっていくことが分かっている。デジャビュが物忘れとは逆の動きをし、この見極める働きと同じ動きをすることは、葛藤説の見方を支える材料の一つになっている。

デジャブを人為的に再現する研究により、その正体は着実に解明されつつある。しかし、会話の最中に生じるデジャブのように、言語や文脈、感情が複雑に絡み合う場面で同じ仕組みが働いているのかは、まだ確かめられていない。

デジャビュについての研究は、今も続いている。2024年、記憶研究という分野を包括的にまとめたオンライン百科事典『The Palgrave Encyclopedia of Memory Studies』の「デジャビュ」の項目は、オコナーとムーランが執筆している。

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