日本では「正」の字。外国では?世界の画線法と「5」の謎
「正」の字、縦線、四角形。数を刻んで残す行為は文化ごとに異なる形をとりながら、なぜか「5」という同じ区切りに収斂する。記録の原初形態に宿る、手と脳の制約。
画線法という名前
居酒屋の注文管理、教室での多数決、棚卸しの在庫確認。手元で何かを数えるとき、日本人はほぼ無意識に「正」の字を書く。
線を引いて数を記録するこの方法には「画線法」という正式名称がある。英語ではtally marks(タリーマーク)と呼ばれる。しかし日本語では「画線法」という語はあまり知られておらず、多くの人は単に「正の字で数える」と言い表す。正式な名称があるのに誰も使わない事実そのものが、この方法がいかに日常に溶け込んでいるかを示している。
tallyの語源はラテン語の「talea(小枝、切り株)」に遡る。古くは木の棒に刻み目を入れて数量を記録しており、それがtally stick(割り符、刻み棒)と呼ばれた。画線法は紙の上の行為だが、その起源は紙よりもはるかに古い。
世界の画線法
文化圏ごとに形は大きく異なる。
欧米圏、オーストラリア、南アフリカなどでは、縦線を4本並べ、5本目を斜めに横切らせる方式が一般的である。英語では、牧場の柵門に形が似ていることからfive-bar gateとも呼ばれる。
フランス、スペイン、ポルトガル、およびこれらの国の影響を受けた中南米地域では、4本の線で四角形を描き、5本目に対角線を引くbox tallyが使われる。
日本、台湾、中国、韓国など漢字文化圏では「正」の字が用いられる。5画の漢字を筆順どおりに1画ずつ加えていく方式で、5本目を書き終えるとひとつの文字が完成する。
画像出典:Wikimedia Commons
2015年にはAdobeのケン・ランディ(Ken Lunde)らがこれらの各方式をUnicodeに収録する提案を行い、2018年のUnicode 11.0で「正」方式と欧米方式のタリーマークが正式に採用された。
| 記号 | Unicode | 説明 |
|---|---|---|
| 𝍲 | U+1D372 | 「正」の1画目 |
| 𝍳 | U+1D373 | 「正」の2画目 |
| 𝍴 | U+1D374 | 「正」の3画目 |
| 𝍵 | U+1D375 | 「正」の4画目 |
| 𝍶 | U+1D376 | 「正」の5画目 |
| 𝍷 | U+1D377 | 欧米式の「1」 |
| 𝍸 | U+1D378 | 欧米式の「5」 |
例外的に、10を単位とする方式もある。林業の現場などで使われるドット&ダッシュ式は、点4つと線4本、さらに対角線2本を組み合わせて10まで数える。統計学者ジョン・テューキー(John Tukey)の名で知られるテューキー式タリーも10を単位とするが、この方式は1898年にドイツ出身の林学者カール・シェンク(Carl Schenck)が丸太の計数のために考案したのが始まりとされる。
しかし、主流は5で区切る形式だ。five-bar gateもbox tallyも「正」の字も、見た目はまったく違うのに、どれも「5」がひとまとまりなのである。
なぜ「5」なのか
5で区切る理由については、身体の側面と認知の側面の両方から説明が試みられている。
身体の側面から見れば、片手の指が5本であるという事実が大きい。世界の数体系には5進法や、5を補助的な基数とする構造が広く見られる。1913年に行われた北米先住民の数詞調査では、「5」を意味する語が「指が終わった」「全部なくなった」といった表現であることが報告されている。フランス語で70を「soixante-dix(60+10)」と表すのも、ガリア語に残る20進法の痕跡とされるが、20は「両手両足の指」に由来すると考えられている。数えるという行為は、歴史的に身体と切り離せない。
認知の側面からは、サビタイジング(subitizing)という能力が関わっている。人間の脳には、少数の対象を数えることなく瞬時に個数を把握する能力があり、1949年にE・L・カウフマン(E. L. Kaufman)らがこの現象に名前をつけた。ラテン語の「subitus(突然の)」に由来する。サビタイジングの上限はおおむね4前後で、それを超えると1個あたりの判別時間が40〜100ミリ秒から250〜350ミリ秒へと急激に増大する。タリーマークの5本区切りは、この上限のすぐ外側に位置しており、「数えずに見て取れる」範囲のぎりぎりに収まっている。
ただし、ここには注意が必要である。「数を数える」ことと「数を瞬時に把握する」ことと「数を書いて記録する」ことは、同じようでいて別の行為である。サビタイジングは「見る」側の知覚的制約であり、指は「数える」側の身体的装置であり、タリーマークは「書き残す」ための記録の道具である。5という数がこの3つの異なる位相で同時に機能しているからこそ、文化を超えた収斂が生じたと考えられる。
「正」の字の来歴、「玉」の字の退場
「正」の字がいつから集計記号として使われ始めたのかは、実ははっきりしていない。中国では清朝末期の上海の劇場が起源とする説が広く知られている。5人ずつの観客を「正」の1画ずつで数えて席に案内したというものだが、厳密な文献的裏付けは確認されていない。英語版Wikipediaのタリーマークの項目では、「正」が選ばれたのは意味ではなく筆順の身体的プロセスの適切さによるものだとの指摘もある。右、下、右、下、右と交互に進む筆順が、1画ずつ加えていく集計行為にうまく適合しているという見方である。
一方で、日本に限れば「正」は比較的新しい習慣である。江戸時代には「玉」の字が使われていた。東北大学所蔵の和算書「算元記」には「玉」による集計の記録が残されており、国立国会図書館のレファレンス協同データベースでもこの事実が確認されている。「玉」を集計に用いる場合は通常の書き順ではなく、「一」「二」「三」「王」「玉」の順に書いた。つまり最初の3画は漢数字そのものと一致するため、途中経過が直感的に読み取れるという利点があった。
「玉」が使われた理由には、そろばんの珠(たま)に由来するという説が有力とされる。しかし明治以降、「玉」は「正」に取って代わられた。移行の理由には、筆記具の変化や不正防止など諸説あるが定かではない。確かなのは、「玉」の最後の一画が「点」であるのに対し、「正」は全画が直線で構成されており、何画目かの判別が容易だという事実である。筆記具という記録の道具が変わることで、記号そのものが淘汰されたのである。
記録の始まり、収斂する単位
人類がいつから数を外部に記録し始めたのか。現時点で知られている最古の証拠のひとつは、南アフリカとエスワティニの国境にあるレボンボ山地で発見されたヒヒの腓骨である。「レボンボの骨」と呼ばれるこの骨には29の刻み目があり、約4万4000年前のものと推定されている。月の周期を追跡していた可能性が指摘されているが、骨の一端が折れているため、29という数が全体の一部にすぎない可能性もある。
コンゴ民主共和国で発見された「イシャンゴの骨」は約2万5000年前のもので、3列に分かれた刻み目が施されている。その配列は素数や10の倍数に近い数を含んでおり、単なる集計以上の数学的認知を示唆するとも議論されてきたが、実用的な目的(握りやすくするための加工など)の可能性も排除されておらず、考古学者の間でも議論が続いている。
いずれにせよ、人類は少なくとも数万年前から、数を自分の身体の外に刻むことを始めていた。タリーマークはその営みの延長線上にある記録の原初形態であり、「一目で把握できるように書き残す」という、知覚と記録が交差する地点に立っている。
形は文化が選び、筆記具が淘汰する。欧米では門を閉じ、南米では四角を描き、日本では「正」の字を書く。記号の形は文化の数だけあるが、区切りの単位だけは、どこでも片手の指の数に落ち着く。