全身麻酔中も、海馬は言語を処理し学習する:意識と記憶形成の分離を示す新研究
意識を失った状態でも、海馬は音を識別し、言語の意味を処理し、次の単語を予測していた。全身麻酔下の患者を対象にした実験が、意識と記憶形成の分離を示唆している。
意識のない脳が、言葉の先を読んでいた
アメリカのベイラー医科大学のサミール・シェス(Sameer Sheth)らの研究チームは、全身麻酔下で外科手術を受けるてんかん患者7名を対象に、海馬の神経活動をリアルタイムで記録した。使用したのは「Neuropixels」と呼ばれる高密度電極で、髪の毛よりも細い探針で、数百個のニューロンの電気信号を個別に同時に捉える。麻酔薬にはプロポフォールを使用し、安定した無意識状態が維持されていることをモニターで確認しながら実験を行った。研究成果は2026年5月6日、Natureに発表された。
言語刺激の実験では、英語のポッドキャストを聴かせると、ニューロンは単語の出現頻度や品詞を識別するだけでなく、「場所」「感情」「行動」など12種類にわたる抽象的な意味のカテゴリまで区別する反応を示した。さらに際立ったのは、文脈から次に来る単語を予測し、それが発話される前から、来るべき言葉の種類に応じた反応を示していた点だ。予測しにくい単語が出てきたときにも、それに対応した反応が確認された。意識がない状態で、脳が先を読んでいたことになる。覚醒状態で同じ課題を行った参加者と比較しても、処理の精度は遜色がなかったという。
意識がなくても、海馬は時間とともに学習する
別の実験では、同じ音をくり返し流しながら、ときおり高さの違う音を混ぜて提示した。海馬のニューロンは、音の高低という物理的な違いを超えて、その音が文脈から外れた音かどうかを識別していた。さらに際立ったのは、時間とともに識別精度が変化した点だ。約10分の実験中、海馬が外れ音を識別する精度は徐々に高まり、逆に標準音への応答は低下していった。単なる刺激への順応ではなく、文脈的な判断の精度が上がったことを示している。この現象は、脳を模倣した計算モデルでも再現されており、偶然ではなくメカニズムとして起きていることの裏付けとなっている。
研究チームはこの結果について、麻酔が阻害するのは情報の処理能力ではなく、処理された内容を長期記憶として定着させる段階であり、それが麻酔後に記憶が残らない理由を説明するかもしれないと解釈している。
「記と憶」の視点:意識は記憶形成の入口ではなかった
この研究が示すのは、「意識がなければ記憶されない」という直感に反する証拠だ。海馬は、意識のない状態でも外界の情報を受け取り、意味を読み取り、予測を更新していた。
ただし留意が必要な点もある。対象患者は7名と少なく、使用した麻酔薬はプロポフォール1種のみだ。観察された処理が海馬単独で行われたものか、聴覚野など他の脳領域からの入力に依存しているかは未解明である。今回の知見が睡眠や昏睡など、他の無意識状態にも当てはまるのかもまだわかっていない。ただ、意識を失った脳の中にもまだ処理を続けている領域があるとすれば、意識障害の理解や将来の治療戦略に新たな可能性を開くかもしれない。