記すことは、書くことより古い

世界最古の壁画と、文字に統計的に匹敵する旧石器時代の記号体系。二つの発見は、記録という行為の起源を、これまでの想定よりはるか深くへと押し戻した。

記すことは、書くことより古い
Photo by Nicolas Thomas / Unsplash

二つの発見

2026年1月、インドネシア・スラウェシ島の洞窟壁画が少なくとも6万7800年前のものであるとする論文が、Natureに掲載された。同年2月には、4万年以上前に中央ヨーロッパに暮らした人々が、最初期の楔形文字に統計的に匹敵する記号体系をすでに持っていたとする研究が、PNASに発表された。いずれも、記録という行為の歴史を問い直す発見である。その二つが何を示すのか、「記と憶」の視点から考えてみたい。

壁に残された、最初の痕跡

スラウェシ島南東部、ムナ島のリアン・メタンドゥノ洞窟(Liang Metanduno)。その岩壁に描かれた手形の上には、薄い方解石(洞窟の壁に自然に堆積する鉱物)の層が堆積していた。グリフィス大学のマキシム・オーベール(Maxime Aubert)らの研究チームは、レーザーアブレーションU系列年代測定法(LA-U系列法)を用いてこの層を分析し、7万1600年前(±3800年)という数値を得た。この数値は方解石が形成された年代を示すものであり、その下に描かれた手形は、それよりも古いということになる。研究チームが導いた最小年代は6万7800年前(±3800年)である。

この発見が意味することは大きい。これまでスラウェシで最古とされていた壁画は同じ島のマロス・パンケプ地域のもので、5万1200年前とされていた。今回の発見はその記録を1万6600年上回る。また、ネアンデルタール人の作とされるスペインの手形(6万6700年前)と比較しても古く、現生人類(ホモ・サピエンス)による確実な洞窟壁画として、現時点で世界最古の年代を示すものとなった。

「最小年代」という表現には注意が必要だ。年代測定の対象はあくまで壁画を覆う方解石であり、壁画そのものではない。方解石の形成が7万1600年前であれば、壁画はそれ以前に描かれたはずだという論理に基づく。したがって「少なくとも6万7800年前」という言い方が正確であり、実際にはさらに古い可能性もある。

この手形が何を意味するのかは分からない。儀礼だったのか、遊びだったのか、あるいは私たちが想像しえない文脈があったのか。6万年以上を隔てた今、その意図を知る術はない。それでも、誰かがそこに手を当て、顔料を吹き付け、輪郭を壁に留めたという事実だけは残る。

文字の前に、記号があった

一方、ドイツ南西部のシュヴァービアン・オーリニャシアン(Swabian Aurignacian)と呼ばれる一群の洞窟遺跡では、4万3000年前から3万4000年前にかけて現生人類が生活していた。彼らが残した260点の携帯用遺物には、線、点、十字、格子、ジグザグなど多様な形の記号が、3000を超える配列で刻み込まれていた。

ザールラント大学のクリスティアン・ベンツ(Christian Bentz)とベルリン先史・初期歴史博物館のエヴァ・ドゥトキェヴィチ(Ewa Dutkiewicz)は、これらの記号配列を計量言語学と機械学習を用いて分析した。比較対象としたのは、古代メソポタミアの最初期プロト楔形文字(紀元前3500〜3000年頃のウルク期)と、現代の89言語・16文字体系である。

分析によると、4万年前のオーリニャシアンの記号配列と、最初期のプロト楔形文字(ウルク期V)とは、情報密度の「統計的指紋」において有意な差が検出されなかった。両者を区別しようとする機械学習アルゴリズムの精度は、偶然と大差ない水準にとどまったのである。一方、現代の文字体系との比較では、アルゴリズムはほぼ完全な精度で両者を区別できた。

ただし、この結果の解釈には慎重さが求められる。統計的指紋が似ているということは、機能的に等価であるための必要条件ではあっても、十分条件ではない。プロト楔形文字は数量や物品を記録する数字・表意文字的な機能を持っていたことが知られているが、オーリニャシアンの記号が同じ目的で使われていたかどうかは、現時点で証明できない。記号の意味は解読されておらず、おそらく解読は原理的に困難でもある。

それでもこの発見が示すことはある。記号が無作為に刻まれたわけではないことは、データから明らかになっているのだ。例えば、マンモスや人をかたどった彫像に刻まれた記号は、ナイフなどの実用的な道具に刻まれたものと比べ、情報密度が約15%高かった。また、「バツ印」は動物の彫像や道具に用いられるが人型には決して使われず、逆に「点」は人型や一部の動物に使われても道具には使われないといった、厳格な使い分けのルールが存在したのである。彫像も道具も同じ象牙で作られることが多かったため、素材による制約があったわけではない。このパターンは、彼らが意図的に共有していた慣習を明確に示している。

これらの事実から浮かび上がるのは、4万年以上前の人々が、プロト楔形文字と同等の情報処理能力を要する記号体系をすでに持っていたということだ。さらにベンツらは、これらの記号配列の情報密度が1万年にわたってほぼ変化しなかったことも確認している。安定した体系が、文字の発明よりはるか以前から存在していた。

なお、この時期との符合として、以前の記事でも触れたレボンボの骨(約4万4000年前、南アフリカ)が思い出される。骨に刻まれた29本の刻み目は、数を数える行為の証拠として解釈されることが多い。手形、記号、刻み目など、素材も形も異なるが、いずれも4万年前後の時代に何かを物質に刻もうとした人間の営みである。

起源は、さらに遠くへ

二つの発見を並べたとき、問いが一つ浮かび上がる。人はなぜ、記録するのか。

しかし正直に言えば、それは答えの出ない問いでもある。6万年前の手形が何の目的で描かれたか、4万年前の記号が何を意味していたか、私たちには分からない。考古学が提示できるのは「そこに何かがある」という事実であって、「なぜそこにあるのか」という動機ではない。

それでも二つの発見が示す時間の射程は、記録という行為についての素朴な前提を揺さぶる。ベンツらの研究が示すのは、最初期の文字体系と統計的に区別できない記号体系が、4万年以上前にすでに存在していたという可能性である。ベンツらはこの研究領域を「進化記号論(Evolutionary Semiotics)」と呼ぶ。記号の体系は、人類とともに進化してきたという視点である。

人類が「記」を始めた時期は、発見のたびに遠ざかっていく。

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