「誰が投票したか」は記録される。インターネット投票が迫る「秘密の放棄」

19世紀、秘密投票は「記録を残さない」設計で民主主義を守った。しかしデジタル時代、再投票を可能にするには記録が必要になる。インターネット投票の困難が浮き彫りにする、記録技術と自由の緊張関係。

壁に寄りかかってスマートフォンを使っている人のシルエット
Photo by Warren / Unsplash

選挙のたびに繰り返される、ネット投票への期待

選挙のたびに、SNS上で「なぜネットで投票ができないのか」という声が上がる。スマートフォンで銀行取引ができ、オンラインで契約書に署名できる時代に、投票だけが投票所へ足を運ぶ必要があるのは不便に思える。しかし、インターネット投票の実現を阻んでいるのは、単なる技術的課題ではない。その背後には、秘密投票が19世紀から採用してきた「記録を残さない」という設計思想がある。

秘密投票の誕生と「記録しない」設計

現在、世界中のほとんどの民主主義国家で採用されている秘密投票は、実は19世紀半ばまで存在しなかった。アメリカでは、有権者が声を上げて投票するか、政党が配布する色分けされた投票用紙を公開の場で投票箱に入れていた。イギリスでも口頭投票が一般的だった。

この公開投票には、深刻な問題があった。誰がどの候補者に投票したかが一目瞭然であるため、買収と強制が横行したのだ。雇用主は労働者に特定の候補への投票を強制し、地主は小作人に圧力をかけた。票の買収者は、約束通りに投票したかどうかを確認できた。投票は自由意志の表明ではなく、権力関係の再確認の場となっていた。

この状況を変えたのが、1850年代にオーストラリアで始まった秘密投票の仕組みだ。1856年、タスマニア州が世界で初めて秘密投票を実施した。その後、1888年にアメリカのマサチューセッツ州とケンタッキー州が導入し、1890年代までに38州に広がった。イギリスでは1872年に秘密投票法が成立した。日本でも1890年の第1回衆議院議員総選挙(当時は帝国議会)は記名投票だったが、1900年の法改正を経て1902年から秘密投票に移行した。

秘密投票の革新性は、その設計思想にあった。投票用紙に有権者の名前を書かせない。個室で記入させる。投票箱に入れた瞬間、誰が誰に投票したかという情報を、意図的に失わせる。この「記録を残さない」設計によって、買収者や強制者は約束通りに投票したかを確認できなくなり、有権者は初めて真の自由を手にした。

秘密投票は、単に情報を隠すのではない。そもそも記録を作らないことで、その情報が悪用される可能性を根本から断つ。これは、民主主義が自由を守るために選んだ、積極的な「記録しない技術」だった。

デジタル時代の矛盾、記録が必要になる再投票

ところが、インターネット投票を実現しようとすると、この「記録を残さない」という原則が揺らぐ。インターネット投票では、投票所と違い、第三者の監視下で投票させられる危険があるからだ。場所を問わず、投票の秘密が確保されない環境では、強制や圧力のリスクが生じる。

この強制投票への対策として考案されたのが、再投票の仕組みだ。もし誰かに強制されて投票した後でも、後から自由に投票し直せるなら、強制する意味がなくなる。

エストニアは2005年から国政選挙でインターネット投票を導入し、何度でも投票をやり直せる仕組みを実装している。2023年の議会選挙では、投票者の51%以上がインターネット経由で投票した。日本でも、茨城県つくば市が2018年から実証実験を開始し、翌2019年には上書き投票機能を導入して最大15回の上書き投票が記録された。

しかし、ここに根本的な矛盾がある。再投票を可能にするには、誰が投票したかを記録しておかなければならない。最初の投票を無効にして新しい投票に置き換えるには、「この投票は誰のものか」という情報が必要だからだ。つまり、強制投票を防ぐために再投票を認めると、秘密投票の原則である「記録を残さない」設計が崩れるのだ。

秘密と記録のトレードオフ、各国の選択

この矛盾に対して、各国・地域は異なる対応を選んでいる。

アメリカ32州:秘密の放棄を選択する

アメリカの電子プライバシー情報センター(EPIC)などの公益団体による共同レポート「The Secret Ballot At Risk」は、インターネット投票の拡大が「秘密投票」の原則を脅かしていると警鐘を鳴らしている。

同レポートによると、アメリカでは現在、31の州と首都ワシントンD.C.、ヴァージン諸島が、連邦選挙(大統領選挙、連邦上院・下院選挙)において、統一軍人・海外市民不在者投票法(UOCAVA)に基づき、軍人とその家族、海外在住のアメリカ市民、一部の州では障害のある有権者を対象に、電子メール、ファクス、または投票用ウェブサイト経由での投票を認めている。しかし、この利便性には明確な代償がある。

これらの州のうち28州では、インターネット投票を利用する有権者に対して「秘密投票の権利を放棄する」という文書への署名を義務付けている。例えば、インディアナ州の法律にはこう記されている。「ファックスまたは電子メールで投票用紙を提出する場合、投票者は別途、『ファックスまたは電子メールで投票用紙を送信することにより、私は秘密投票の権利を自発的に放棄することを理解しています』という趣旨の声明に署名し、日付を記入しなければならない」。

残りの4州(ワシントン、アイダホ、ノースダコタ、ミシシッピ)は、有権者に対してインターネット投票が秘密投票でないことを警告すらしていない。モンタナ州に至っては、法律でインターネット投票の秘密性を保証しているが、再投票のために記録が必要である以上、完全な秘密の保持は実現できないはずだ。

アメリカの選択は、ある意味で率直だ。技術的に秘密を守れないなら、それを隠さず明示し、有権者自身に判断させる。利便性と秘密のどちらを優先するか、選択の責任を個人に委ねているのだ。

エストニア:秘密を守ろうとして露呈する限界

一方、エストニアは秘密投票の原則を維持しようとしながら、技術的な限界に直面している事例だ。

エストニアは2005年から地方自治体選挙でインターネット投票を導入し、2007年からは国政選挙にも拡大した。2023年の国政議会選挙では、投票者の51%以上がオンラインで投票した。システムは電子IDカードを使った本人認証を行い、有権者は投票期間中に何度でも投票をやり直すことができる。この再投票の仕組みこそが、強制投票への対抗策として設計されたものだ。

しかし、2025年の国際会議E-Vote-ID 2025でタリン工科大学の研究者タルヴォ・トレイエル(Tarvo Treier)が発表した論文「Re-voting Under Surveillance: National eID Transaction Logs as a Threat to Coercion Resistance in Estonian Internet Voting」は、この仕組みの根本的な脆弱性を指摘している。

問題は電子IDの利用ログだ。エストニアでは、電子IDを使った操作が国の認証システムに記録され、有権者は自分のIDがいつ何に使われたかをオンラインで確認できる。このログには、投票システムにアクセスした回数とタイミングが記録される。

つまり、強制者が有権者の電子IDログを確認すれば、再投票した事実が発覚してしまう。ここで重要なのは、実際にログが見られるかどうかではない。「見ようと思えばいつでも確認できる公的な証拠が残ってしまう」という事実そのものだ。この「検証可能性」が有権者への心理的な圧力となり、「後でバレるかもしれない」という恐れから、再投票という抵抗手段そのものを封じてしまうのである。論文の著者たちは、この脆弱性は暗号技術の失敗ではなく、「二つの安全なシステム(再投票プロトコルと電子署名監査システム)の組み合わせから生じる」と指摘している。

エストニア政府は秘密投票を守ろうとしている。しかし、再投票という機能を実現するために必要な記録が、別のシステムに残ってしまう。完全な秘密は、技術的に保証されていない。

つくば市:公職選挙への道のりと浮上する課題

日本では、前述の通り茨城県つくば市が実証実験を重ねている。これは公職選挙ではなく、市が全国から公募した社会実装プロジェクトの審査における投票や、模擬住民投票として実施されたものだ。市は複数の企業と共同でブロックチェーン技術を活用したインターネット投票システムを開発した。

2018年の初回実証では、紙の投票と同様に再投票は不可能だった。しかし2019年には、強制投票への対策として上書き投票を可能にする仕様に変更した。結果、最大で15回の上書き投票が実際に記録された。さらに、有権者本人だけが「自分の投票がどのようにカウントされているか」を確認できる機能も導入された。これらの機能は透明性を高める一方で、秘密投票と記録の矛盾を抱えている。つくば市は、この記録を暗号化し、投票者本人だけがアクセスできる設計にすることで秘密を守ろうとしている。

市は2024年10月の市長選・市議選でのインターネット投票導入を目指していたが、公職選挙法が投票所での投票を原則とするため、実現しなかった。総務省は「つくば市だけ先行してネット投票を行うことは現状では難しい」との見解を示している。しかし、市は歩みを止めたわけではない。選挙での導入が見送られた直後の2024年11月、市は「市長の退職金額をネット投票の評価点数で決める」という独自の模擬投票を実施した。これは公職選挙法の適用外である市の条例に基づくもので、マイナンバーカードによる本人確認を経て、1,000人以上がスマートフォンなどから投票を行った。法の壁に阻まれながらも、選挙以外の領域で、記録技術を用いた新しい民意反映の形を模索し続けている。

二つの道、同じ帰結

アメリカは秘密の放棄を明示し、エストニアは秘密を守ろうとして限界を露呈し、つくば市は記録の管理による新しいバランスを探る。アプローチは異なるが、いずれも19世紀の秘密投票が守ってきた「記録を残さない」という原則には反している。それは投票の自由の後退なのか、それとも時代に応じた新しい設計なのか。

記録技術が問う、投票の自由

秘密投票の歴史が示すのは、記録技術の設計が投票の自由を左右するという事実だ。19世紀、公開投票という「記録する」システムは権力者による支配を容易にした。オーストラリア式秘密投票という「記録しない」システムへの転換が、有権者の自由を実現した。

しかしデジタル社会は、すべてを記録する方向に進んでいる。この流れの中で、投票の秘密という19世紀の原則を守り続けることは可能なのか。エストニアやアメリカの事例が示すように、完全な秘密を維持したまま利便性を高めることは困難だ。

選挙のたびに繰り返される「なぜネットで投票ができないのか」という問いは、「記録と自由をどうバランスさせるのか」という根本的な問いだ。すべてを記録する社会と、あえて記録しない設計を選ぶ社会。インターネット投票の実現は、私たちが何を守り、何を手放すのかという価値の選択を迫る。


English version is available on Medium: Voting Records Expose Identity | Ki to Oku Annex

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