楽しかったはずの嘘は、記録され、やがて事実になる

BBCの「スパゲッティの木」から、医学系学術誌に載った「ブリキ男症候群」まで。楽しむために作られた嘘は、文脈を失うと事実として歩き始めることがある。

楽しかったはずの嘘は、記録され、やがて事実になる
Photo by ROBIN WORRALL / Unsplash

スパゲッティは木に実るか

1957年4月1日、BBCの報道番組「パノラマ」が3分間の特集を放送した。スイス南部の家族がスパゲッティを木から収穫している映像だった。ナレーションを務めたのは、戦時中から活躍する看板キャスターのリチャード・ディンブルビー(Richard Dimbleby)。彼は穏やかな口調で、その年は暖冬のおかげでスパゲッティゾウムシがほぼ駆除され、豊作になったと語った。

推定800万人が視聴し、翌日には数百人がBBCに電話をかけた。「どうすれば自分でスパゲッティを栽培できるのか」と。BBCは「スパゲッティの小枝をトマトソースの缶に差して、うまくいくよう祈ってください」と答えたという。1950年代のイギリスではパスタはまだ珍しく、缶詰のスパゲッティしか知らない人も多かった。CNNは後にこの放送を「信頼あるメディアが行った史上最大のデマ」と評している。

この話はよく「昔の人は純朴だった」という文脈で語られる。だが注目すべきは、70年近く経った今もこの映像はプラットフォームを渡り歩いていることだ。スイス観光局が公式YouTubeチャンネルに転載し、BBCも自局のアーカイブチャンネルやTikTokアカウントから繰り返し発信している。以下はBBC Archiveが公開している映像だ。

見てのとおり、映像そのものには「これはエイプリルフールの嘘です」とは刻まれていない。「今日は4月1日だ」という、たった一つの前提が嘘を嘘たらしめていた。だがその前提は映像の外にしかなく、時間とともに消えていく。

架空の症例、10年後に学術誌に載る

2015年4月1日、放射線医学の教育サイトRadiopaediaに一つの症例報告が投稿された。「Tin Man Syndrome(ブリキ男症候群)」。心臓が本来の位置から腹部に移動しているという架空の症例で、オズの魔法使いに登場する心を持たないブリキ男にちなんだ命名だった。Radiopaediaの編集部は毎年エイプリルフールに架空の症例を作成しており、これもその一つだった。サイト上には「April Fools'」と明記されていた。

この画像は論文になる以前から、SNS上で放射線科の専門家たちに実症例として共有されていた。Radiopaediaによれば閲覧数は180万回に達していたという。そして2025年7月、画像は医学系学術誌『Medicine』に実症例として掲載された。論文のタイトルは「無症候性の若年男性における内臓型心臓転位の稀少症例報告(Asymptomatic young male with ectopia cordis interna: A rare case report)」。調査報道サイトRetraction Watchの報道によれば、画像の不正を指摘したのは外部の研究者たちで、2015年の風刺的な投稿との画像比較によって盗用が発覚した。論文は撤回され、責任著者は最終的に「症例は実在しなかった」と認めた。さらに同じ著者による他の5本の論文も、信頼性への疑義を理由に同時に撤回されている。

この事例が示すのは、「嘘だった」という情報がいかに容易に剥がれるかということだ。Radiopaediaのサイト上では、その画像はエイプリルフールの企画として明確にラベルされていた。だが画像がダウンロードされ、別の文脈に置かれた瞬間、注釈は消えた。残ったのは、それ自体としては本物に見える医療画像だけだった。そしてその画像は、事実に基づくことが前提とされる学術論文の中に、エビデンスとして収まってしまった。

毎日がエイプリルフールの時代に

「嘘として作られたものが、文脈を失って事実として流通する」。この現象は、もはやエイプリルフールに限った話ではない。

アメリカの風刺メディアThe Onionは、通信社の報道と同じ文体・形式で架空のニュースを書くことで知られている。だからこそ、記事の見出しだけが切り出されたとき、風刺と報道の区別が消える。2012年に同サイトが金正恩を「最もセクシーな男」に選出したという記事を掲載すると、中国の人民日報オンラインが事実として報じた。バングラデシュの新聞は、The Onionの「陰謀論者、ニール・アームストロングに月面着陸はやらせだったと信じ込ませる」という記事を事実として引用し、後に謝罪・撤回した。

日本の「虚構新聞」も同じ構造を持っている。架空のニュースを新聞報道の形式で掲載するサイトだが、サイト名に「虚構」と掲げているにもかかわらず、記事がSNSで拡散される過程で事実と誤認される事例が繰り返されてきた。2012年には「橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」という記事が拡散し、事実と信じたユーザーによる混乱が起きている。虚構新聞はこの騒動について検証記事を掲載した。

これらの事例に共通するのは、記事が元のサイトから切り離されて流通したとき、「風刺である」というラベルが消えるということだ。The Onionのサイト上にはフッターに「satire(風刺)」の表示があり、虚構新聞はサイト名そのものが虚構を宣言している。だがSNSでヘッドラインだけが共有されるとき、あるいは別のニュースサイトに転載されるとき、その表示は一緒には移動しない。

エイプリルフールには「今日は嘘の日だ」という共通了解がある。だが風刺サイトの記事には、そのような目印がない。あらゆる情報が日付も出典も曖昧なまま流通し、風刺と報道の区別は受け手の判断に委ねられている。

嘘が楽しいのは、嘘だと分かっているうちだけ

Radiopaediaの編集部は、過去のエイプリルフール企画を一覧にまとめた専用ページを設けている。架空の症例には「April Fools'」のタグが付けられ、いつ、どのような意図で作られたかが記録されている。これは「嘘の記録に注釈を刻む」試みといえる。

だが、Tin Man Syndromeの事例が示したように、注釈は元の場所に留まる。画像がサイトを離れれば、注釈は一緒には移動しない。デジタル画像にはメタデータとして撮影日時やカメラ情報が埋め込まれることがあるが、「これは事実ではない」という情報を画像そのものに埋め込む標準的な仕組みは存在しない。

では、記録そのものに「これは嘘だ」と書き込めば解決するのだろうか。虚構新聞はサイト名に「虚構」を冠し、記事中にも虚構であることを示す表記がある。それでも記事が事実として拡散される事態が繰り返された。多くの人はリンク先を開いて確認する手間をかけず、SNSに流れてくるタイトルだけを見て、反射的に内容を受け取る。注釈を刻んでも、タイトルしか消費されなければ、注釈は存在しないのと同じだ。

私たちは、記録を残すことに長けてきた。だが「この記録は信じてはいけない」という情報を、記録そのものの中に残すことは、意外なほど難しい。記録と、その記録が生まれた文脈は、別々の場所に保存されている。そして時間は、常に文脈の方を先に消していく。

エイプリルフールは、嘘を楽しむ日だ。だがその嘘が記録として残るとき、いつか事実として受け取られることがある。

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